ケータイ依存症

 通勤ウォーキングの途中で出会う学生や若いサラリーマンの方々は、ほとんど、いつもケータイを手にしています。ただ持っているというだけではなくて、通話はもちろんですが、見たり操作したりと楽しそう(忙しそう?)です。

 これはきっと、今の若い世代の人は、「みんなケータイ依存症に陥っている」と、このように感じていました。

 そして、先日、ケータイを職場に忘れて帰り、駅まで歩いている途中で気がつきました。私は、若い人のようにケータイを使いこなせるわけでもなく、普段は通話とメールの機能さえ使えれば不自由することはないのですが、でも、手元にないとなんだか落ち着かないと言うか、不安な気持ちになって取りに戻りました。

 「あれ?これって自分もケータイ依存症じゃないの?」自分では気づかないうちに、既に自分もケータイ依存症に罹っているじゃありませんか。

 よくよく考えてみると、今のケータイの機能は、昔と比べて著しく向上し、私のような中期高齢者でも、ケータイの電話帳には多数の相手の電話番号やメールアドレスを登録しているし、予定表にも書き込みをし、たまにはインターネットを利用して野球の途中経過等の情報を得たりもしています。

 こうなると、今のケータイは単なる電話ではなく、自分をアシストしてくれる、まるで秘書のような機能を持ち合わせた大切な役割をしている道具であり、自分にとって非常に存在感の高い物であることに気付かされました。

 これではもう、「ケータイが手元にないと不便」という領域を越え、いつの間にか自分の生活になくてはならない物と化し、ケータイに依存せざるを得ない状態に陥っていることに驚くとともに、若い世代の人を笑っている自分が恥ずかしくなりました。

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