あらら!もう半年が過ぎちゃうよ!

 昨年完全退職してからは、これでゆっくり自分の時間が持てると思いましたが、中々そうはうまくいかないです。娘が看護師の免許を取得し、この4月から勤め出したからです。

 それはそれで良かったのですが、良く考えてみたら、2人の孫の面倒は誰がみるのでしょう?もう小学校3年、4年と言うけれど、学校終業後、誰もいないハイツに帰らせていいものなのか?

 結局、孫の放課後は私たち「じーじー&ばーばー」が守りする羽目になってしまったのでした。

 毎日のことだから「さぁ!たいへん!」時間が猛スピードで過ぎ去っていきます。老い先短い私たち「じーじー&ばーばー」の時間はどうなるの?

 そりゃあまぁ、孫の成長を見ながら生活できるのも、こんな幸せなことはありません。「目に入れても痛くない」といわれるほど可愛いものです。しかし~...。(p>□<q*))

 「それとこれとは...。?」って言いたいところですが、家族のためだから諦めました。自分たちの時間を犠牲にしてでも、子や孫の生活を支援し、また孫たちが無事に成長してくれればと考え方が変わるようになりました。

 それからは、少ない時間を集中して、趣味の時間に没頭するようになってきたのです。
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 だからだろうと思います。半年があっという間に過ぎたことが...。だから今年の残り半年もあっという間に終わるでしょう。

年の初めに

 皆様、新年あけましておめでとうございます。昨年の春に完全退職して以来、あっという間に新年を迎えることになり、月日の経つ早さに驚いている次第です。

まずは、健康で無事に過ごせたことに感謝しているところです。

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【2019年 元旦 初日の出】
 
 そして、今年の旅の目標を「東北地方車中泊ひとり旅」として掲げ、今から準備を進めようと思います。出発は梅雨が明けた紅葉の綺麗な頃を予定しています。

 何しろ、東北地方への旅は生まれて初めてとなるので、今からとっても楽しみです。そんなわけで、今年もまた旅の充実した日々を送って、あっという間に無事に終了できるようにと願っています。

また、今年も光陰矢の如し

 また、久しぶりのブログ更新となってしまいました。定年退職してからは妻と交替で家事や孫守りに時間を奪われることが多くなり、勤めているときは、これらを全て妻が熟していたかと思うと、本当に頭が下がる思いです。

 要は、何事もやってみなければ分からないということですね。まだ、今は教えを乞いながら一人でもできるように頑張っているところです。

 まずは、機械で比較的簡単にできる洗濯から覚えています。まぁ、洗濯そのものは洗濯機がやってくれるのですが、洗濯物の仕分けや、干し方、取り入れた後のたたみ方については、やっと出来るようになった次第です。それも、よく晴れている日は良いのですが、雨の日や突然の雨の安定しない天気の日は外出もできません。洗濯乾燥機のあるおうちが羨ましく思うこともあります。

 次に、料理です。今はまだ自分で味つけができるところまでは至っていないのですが、料理そのものは好きになれそうです。インターネットでグルメ関連のサイトを開いて、好みの献立を選びながら指示に従って作るのですが、今のところは美味しくできていると家族から褒められています。これからはレシピを覚えて自分で味つけができるように頑張りたいと思います。

 そして、もう一つは掃除ですね。掃除については、妻が今まで(結婚以来43年)毎週月曜日にしていたとのことなので、今もそれにならって毎週月曜日に共同で大掃除することにしています。孫たちが来て汚して帰ったりすると、拭き掃除等に結構な労力がかかりますが、二人で出来るようになったので、妻は楽になったと喜んでくれています。
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 今はこんな毎日なので、あまり旅行に行くわけにはいきませんが、朝夕のウォーキングを兼ねて趣味の写真に没頭しています。そんなわけで、月日の経つのが非常に早く、また、今年も光陰矢の如しという感じで過ぎ去りそうに思います。

北海道に魅せられて

 今年の春に定年退職を迎えて自由人となったことから、9年ぶりの北海道へと自由奔放な「車中泊ひとり旅」に出かけました。

 過去5回北海道ツーリングに行きましたが、制約された時間の中では、どうしても落ち着いて好きな風景写真の撮影を楽しむまでには至りませんでした。

 しかし、今回はもう何の制約も受けない自由旅を手に入れることができたのです。

 初めて北海道を訪れた時から、広大な大地に直線道路、丘のある長閑な田園など、どこを見ても飽きることのない絵になる風景ばかりに感動を覚え、自由な身になり次第もう一度あの素晴らしい風景に出会いたいと思い続けてきました。
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 そして、再びの感動!

 春の緑、夏の花、秋の紅葉、そして冬の雪と四季がはっきりとしている北海道は、きっと一年中「写真撮影の宝庫」なのでしょう!
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 そんな北海道の一年を通して四季折々の絶景を楽しむためには、時間の制約を受けなくてもお財布の中が限られていますので、それは私には願っても叶いそうにはありませんが...。

 限られた日程と時間に制約を受けて行く旅では、写真撮影に没頭することはできません。今回の旅ではその制約が解けたので、遥々遠い北の大地「北海道」に来て、その魅力あふれる風景に再会し、毎日早朝から夕刻まで思う存分浸りました。

 しかし、時間の制約は受けなくても、天候の制約は逃れられないことを忘れていたのです。北海道には梅雨が無いと聞いていたのですが、残念ながら今年は異常気象でした。
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 蝦夷梅雨が続く中、満足できる写真が撮れず、待つことに疲れました。そうして、ここで改めて「風景写真の撮影は自然が相手なのだから、シャッターチャンスが訪れるのを根気強く待たなければならない。」という待つことの重要性を再認識したのでした。

北海道車中泊の旅2018

 第二の人生を出発して間もない5月、以前から計画していた北海道への夢の車中泊ひとり旅を、やっと実現させることができました。
 
 過日の5月24日、新日本海フェリーにて午後11時50分に舞鶴港を出港し、翌日の午後8時45分に小樽港に着きました。マイカーでの初めての北海道上陸に胸が高鳴りました。

 第二の人生の門出とともに、車中泊ひとり旅とあって、時間の制約ゼロ、行動選択の自由、これらによるストレス完全ゼロの旅。この広大な北海道をこんな気ままで自由奔放な車中泊によるひとり旅が実現でき、本当に夢のようでした。

 旅の目的は風景写真の撮影です。地平線の見える広大な北海道は、風景写真撮影の宝庫です。どこにカメラを向けて、どこを撮っても、すべてが絵になります。
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 しかし、そんな夢の撮影旅も天候次第で左右されます。今年の北海道は、否、北海道に限らず、日本、否、世界規模の異常気象です。来道当初は晴天に恵まれ、「北海道は梅雨が無い…やっぱり!」と喜んだのも束の間、その後の悪天続きで撮影には一苦労しました。
 
 どんなに自由奔放な旅でも、天気ばかりは自然に任せるほかありません。晴天を待つことがストレスになり、この世に「ストレス完全ゼロ」なんて有り得ないということを実感した意義深い旅となりました。

たびショット/北海道車中泊の旅2018

第二の人生スタート!

 今日から私の第二の人生が始まりました。昨日の3月31日をもって、再任用非常勤職員の採用期間である5年間の職務を無事に全うすることができました。\(^o^)/
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 正規の在職期間中も含めて、大病にも罹ることなく元気で退職できたことは、家族はもちろんのこと、身の回りのすべての人のおかげがあってのことだと思います。本当にありがとうございました。感謝!感謝!
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 今日からも生活リズムを崩すことなく、健康に留意して、在職期間中にできなかった趣味の旅行や写真などの夢の実現と、料理などの新たな挑戦に向けて邁進してまいりたいと思います。

 それでは、今日までお世話になった方々のご健康とご多幸を祈念申し上げて、また逢う日まで… (^o^)/~

羽生結弦「僕はアイドルじゃない」

以下『スポーツ報知』全文引用
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180218-OHT1T50040.html

『羽生結弦「僕はアイドルじゃない」
孤独と犠牲の上に涙の66年ぶり連覇
2018年2月18日5時0分 スポーツ報知

 ◆平昌五輪第9日 ▽フィギュアスケート男子フリー
(17日・江陵アイスアリーナ)

 男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=がフリー2位の206・17点、合計317・85点でディック・バトン(米国)以来66年ぶりの連覇。冬季五輪通算1000個目の金メダルとなった。SP3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=は202・73点、合計306・90点で銀メダル。冬季五輪では表彰台を独占した1972年札幌大会スキージャンプ70メートル級(笠谷幸生、金野昭次、青地清二)以来2度目の日本勢ワンツーフィニッシュとなった。
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 何度もガッツポーズを繰り返し、氷上で羽生が雄たけびを上げた。まだフェルナンデスと宇野の演技が残っていたが、勝利を確信した。右足首をさすり、氷を3度叩いた。「ここまで来るのに大変だったんで、いろんな思いがこみ上げた。本当に右足が頑張ってくれた」。66年ぶりの連覇が決まると、みるみる目に涙がたまり、こぼれ落ちた。

 演技構成は当日の朝に決めた。サルコーとトウループの2種類4本の4回転。難易度の高いループは回避した。「自分が本気になれるプログラム」を追求してきた。挑み続けることが性分だが、それ以上に勝利にこだわった。「跳びたいとか跳びたくないとかいう以前に、何より『勝ちたい』だった。勝たないと意味がないので、この試合は。これからの人生でずっとつきまとう結果。本当に大事に、大事に結果を取りにいった」

 作戦は奏功した。映画「陰陽師」の音楽で演じる「SEIMEI」に乗せ、冒頭のサルコー、続くトウループはともに最大加点の3点を引き出した。ソチ五輪のフリーでは2度転倒したが、この日は8本のジャンプすべてを着氷。最後の3回転ルッツは着氷が乱れたものの、痛めていた右足でこらえ「右足に感謝しかない。ソチ五輪のときは勝てるかなっていう不安でしかなかったけど、今回は何より自分に勝てた」。故障明けで4か月ぶりの実戦というハンデを乗り越え、冬季五輪の個人種目で日本人初の連続金メダルに輝いた。

 昨年11月のNHK杯前日練習で右足首を負傷。この1か月は痛み止めを服用しながらギリギリの調整を続けていた。韓国入りの1週前には薬の強度を上げた。戦いを終え、口にした。「本当に大変だったので。思ったよりも」。最初の診断は靱(じん)帯損傷。1か月後には腱(けん)と骨にも炎症があることが発覚した。2か月も氷から遠ざかり「体力よりもスケートに乗ることの不安の方が大きかった」。氷上へ戻ったのは年明けだった。最初の日はスケート靴を履いて氷の上に立っただけ。翌日は軽く滑っただけ。もう一度痛めれば連覇の機会は奪われる。慎重に進めていくしかなかった。

 陸上でジャンプのフォームとイメージを固めることに注力した。恐怖心はあった。3回転を跳び始めたのは3週間前。4回転は2週間から2週間半ほど前。得意のサルコーは、右足を体にうまく引きつけることができずに2回転でも苦戦した。4分半のフリーを滑りきるスタミナも不安要素だった。陸上ではチューブを使ったトレーニングを中心に筋力を維持した。右足に負担がかからないようにしながら、陸上で曲かけを繰り返した。関係者に「4分半持つ体力はつけてきたから大丈夫」と告げた。

 2011年3月11日、地元・仙台での練習中に東日本大震災に遭った。スケート靴のまま、泣きながらはって外に逃げた。自宅は半壊し、家族で避難所暮らしも体験した。リンクが復旧するまでの4か月は、60公演ものアイスショーに出演しながら練習を続けた。「あれ以上に苦しいことも悲しいこともない」。たくさんの応援に触れた。だから自身のスケートはいつも、周囲への感謝の気持ちが源になっている。

 ソチ五輪以降は、リンク外でも注目を集めるようになった。週刊誌に追われることも増えた。戸惑った。「僕はアスリートなんですけど。スケートしたいだけなんですけどね。スケートとプライベートって全く関係ないし、僕はアイドルじゃない。まあ、そのうち人気はなくなるんで大丈夫ですけど。現役のうちだから」。そう漏らしたこともあった。孤独を覚えることもあった。どんな時も、スケートが支えだった。

 12年に拠点をカナダ・トロントへ移した。自宅とリンクを往復する日々は今も変わらない。コンサートにもスポーツ観戦にも出かけたことはない。昨季のSP、プリンスの「レッツゴー・クレイジー」で、観客との一体感を味わった。しかし観客として、その興奮は知らない。「コンサートもライブも行ったことがないので分からない」と笑った。スポーツの現場に足を運んだのは、J1仙台のキックイン(始球式)とプロ野球・楽天の始球式だけ。犠牲にするものも多かった。スケートで勝つことに全てを費やしてきた。

 「前人未到」という言葉が大好きだ。「圧倒的に勝ちたい」「劇的に勝ちたい」が口癖だ。今大会日本の金メダル1号は、冬季五輪通算1000個目の金メダルでもあった。「スケートを愛しているし、すごく幸せ。僕が一番大切にしている大会でまた、金メダルを取れたことを誇りに思う」。故障だらけの4年間を、強い気持ちで乗り越えてきた。新たな羽生伝説の誕生だった。(高木 恵)

 ◆羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)1994年12月7日、仙台市生まれ。23歳。
射手座にちなみ「弓に結ばれた弦のように凜(りん)と生きて」と名付けられた。14年ソチ五輪で日本男子初のフィギュア金メダル。世界選手権は14、17年に優勝。13~16年にGPファイナル4連覇。SP、フリー、合計でいずれも世界歴代最高記録を持つ。172センチ、57キロ。』

以上『スポーツ報知』全文引用させていただき、羽生結弦選手の快挙を記憶に留めたいと思います。

以下「YouTube」へ
ショートプログラム
https://www.youtube.com/watch?v=UnnxJuzaqss
フリー
https://www.youtube.com/watch?v=joZmOrknpRE